ここにある「気球に乗って」という文章は、不登校の子どもを持つある父親が書いたものです。
「不登校」と一口に言っても、子どもたちの状況も様子もいろいろで、共通点は学校を休んでいるということだけ。その多様さが、時に親や先生や支援者の間で、同じ見通しを持つことを難しくしたり、一緒に考え合うことの壁を大きくしたりします。
私たちは、子どもをどう理解すべきなのか。
私たちは、子どもたちに何が出来るのか。
現代の子どもたちが身を置く環境、それぞれの事情や背景、そして子どもたちが生きていくために持っている得意なことや強み、そんなものを思い浮かべながら読んでいただければと思います。
気球に乗って「山-森ー川―海モデル」
作 コウ
私たちは気球に乗って空高く登った。
大海原があり、平野があり、森があり、高い山々があり、
山から大きな川が大海原へと続いているのが見える。
険しい修行の山奥、そこに流れの強い川があり、
立派な橋があり、そこを子どもが列を作って渡っている。
沢山の子ども、にぎやか、橋は大混雑。
号令をかける大人がいる。
立派に見える橋も、よく見ると穴が開いているし、柵は壊れている。
ときどき突風が吹いて大きく揺れている。
疲れはて足取りが不安定な子がいる。
寝不足なのか、何も食べていないのか。
お腹が痛い、頭が痛いと泣いている子がいる。
何かに怯えて泣き叫んでいる子がいる。
怒っている子がいる。
子ども同士、つつき合ったりしている。
よく見ると時々何かが川に落ちていく。
子どもだ。
はじき出される子、自分から飛び込む子がいる。
突然、板を踏み抜く子がいる。
一本の手でようやくぶら下がっている子もいる。
ぶら下がっている子を引っ張り上げようと懸命な大人がいる。
川に落ちた子に、浮き輪を投げている大人もいる。
怒ったり、嘆いたり、悲しんだりしている。
お前のせいだ、と言い争っている。
橋の上にいる子どもも大人も、ほとんど誰も川を覗きこまない。
自分の足元を見て前に進むのが精一杯のようだ。
流されていく子が見える。そこに飛び込む大人がいる。
水を飲み、溺れる子がいる。一緒に溺れる大人もいる。
少し川下になると流れは穏やかになり、ぷよぷよ子どもが浮かんできた。
生きている。
頑張れよー、力をぬけー、今助けに行くぞーと岸辺から叫ぶ大人がいる。
さらに下流になると、力を抜いて気持ちよく浮いている子がいる。
泳ぎが上手い子もいる。
岸にたどり着いて、笑っている子がいる。
息絶え絶え、なんとかたどり着いた子もいる。
その隣で喜んだり泣いたり、手当している大人がいる。
そこは深い森の中。
声を出せないほど疲れてもいる。
叫んでも、その声は誰にも届かない。
さて川を登って橋に戻ろうか、それとも森に入ろうか、と話している。
森に入って、右往左往迷っている子がいる。
運良く、自宅にたどり着ける子がいる。
森を出て、橋に戻る子がいる。
それを喜んでいる子がいる。
過去の恐怖に囚われ苦しむ子がいる。
岸にたどり着かず、そのまま川の流れに任せる子がいる。
笑っている子がいる。
凍えて、お腹をすかせて、川底に沈む子がいる。
大海原にたどり着いて、初めて見る美しい景色に感動している子がいる。
砂浜に打ち上げられる子がいる。
これら全ての光景が、一枚の大きな絵のように、私たちの目の前にある。
さて、どこに降りて行って、何から始めるべきか。
やるべきことはたくさんありすぎる。
私たちは橋の上ではなく、橋の下の川辺に降り、川下まで走る。
1 橋から落ちても、パニックにならないようにと叫ぶ。
2 川に飛び込む親を止め、専門救護チームを作れと叫ぶ。
3 岸辺にたどり着いた子には新しい服を着せ、暖かいものを食べさせる。
4 森の中に、山小屋を作る、小道も作る。
5 道先案内人を配置する。
6 情報交換をするための無線機を配る。
7 必要な物資を森に贈る。
8 ほかにいくらでもやるべきことはある。